お金でできること、できないこと?

土曜日に「ブロガー meets ¥100 」という「100円で世界のために何が出来るか」的なイベントに、ゲストとして参加しました。http://chikyu-no-cocolo.cocolog-nifty.com/event/2009/06/meets100yen-5f5.htmlバックパッカーでもなく、パック旅行でもなくきらくな「世界一周旅行」をしたぼくら。もとより世界一周を「人生の夏休み」っていう軟派な気分で行った旅行なのでバックパッカーみたいな「旅に生きる」とか「旅人」とかいう硬派(かたくな?)なニュアンスが苦手でした。ものすごくお金を切り詰めた旅行にも疑問があったし。また、ココぞとばかりに大量のブランドものやお土産を買って行く パック旅行の日本人もいやだった。なんかお金の使い方が極端だと思った。同時に、・世界一周なんてことが優雅に出来る日本人と、日々の暮らしにも困る現地のストリートチルドレンという現実。・毎日物乞いにたかられるストレス。・発展途上の新興国の銭ゲバなかんじ、「金を持っているやつからは幾ら騙してもかまわない」という感覚への嫌悪。・ODAやアメリカの寄附が必ずしも有効に機能していない現実。 お金をくれる先進国がいるので学ばなくなる人たち。・お金で安全や便利さを買うという感覚への慣れこんな現実を毎日感じながらでもスマートにお金を使って行く外国人の旅行者もたくさんいて「ぼくらもお金の使い方をしらないなあ」なんて感じました。今回イベントで登壇するにあたって寄附や国際協力、貧困や格差の問題について旅行中にいろいろ考えたことを思い出しました。そのひとつネパールのカトマンズでのメモを転記します。http://hayapon.com/photos/kathmandu/index.htmから---■アジアの最後に乞食に思うこと ボダナートにいるたくさんの汚い乞食の子供と、きれいな服で写真をとってもらうお金持ちインド人の子供とのギャップに如何ともしがたい感情になる。同じような年だろうなあ。 ぼくらはすでにアジア何カ国目? なのにいまだに慣れないこの風景。貧富の差。いつもだ。乞食や物乞い、物売りの存在が非常に腹立たしい。いつも腹立たしいだけだ。そしてそのあとしばらく不愉快な気分になる。全く持って非常に不愉快な気分になる。すごくがっかりする。ぼくはまだ一度もお金をあげたことがない。 なんでだろう?そういえば今まで、お金をあげること、あげないことに関してしっかり考えたことがない。僕らは気楽なツーリスト。彼等にくらべれば100万倍金持ちでしょう。でもどうしても物乞いにお金を恵む気持ちになれない。なぜだ? 20円や30円、僕の人生になんの影響もない。くれてやっても良いんだろうけど。彼等にとってのその金額は、その日生きるための糧だ。食。一度やるとみんなにやらなくちゃいけないからあげない? いや、そんなこと考えないで気紛れにあげれば良いのかな。それともパラパラ配るより然るべき団体に寄付でもすれば良いのか?どこに? プライドなく恵んでくれとねだる姿勢が嫌いだからか? 「働けよ!」 でも働く場所がない。 今日はおじいちゃんの物乞いにあった。僕らの何倍生きてるんだろうこの人は? その老人が手を差し出して金をくれと言う。 お金を渡すと、なんとなく自分を否定するような気になるからかな。どんな? お金を渡すことでその場の嫌な気分は解決できても、根本的に何も解決しないことを知っている。そんな気になるのが嫌なのか? 可哀想だとも思う。どうすればいいんだろう?  だいたいなんで俺がこんなに考えなくてはいけないのだ? 別に悪いことをしているわけでもないのに。 お金を渡したとしても、この複雑な気持ちはかわらないと思う。 いまだに答えが出ない。 とにかく物乞いに出会いたくない。---結局、いろいろ考えて行動することが大事なんだと思う。