「旅人」違和感

「旅」について長い間、悶々としていることがある。

僕は「旅人文化」が苦手なのだ。

世界一周に行っといて、何を言ってるんだ?という話だが先日、このイベントに行って、発見があったので、いい機会だから、書いてみようと思う。


長い「旅」した人たちと話して、独特の雰囲気にうんざりすることがある。

「旅」に行った彼らの、全面的にポジティブな語り口調と、ゆるいニュアンス、ラブアンドピース的な無責任さに、ぼくは逃げ出したくなる。

「人との出会い」「すべてに感謝」「成長」「自分らしく」「旅」...

全部嫌いなコトバである。

僕は「旅」というコトバも苦手で、自分で話すときは「旅行」と言う。自分から「旅して〜」なんていうことは、まずない。

なぜ嫌なのか? ずいぶん長いあいだわからずに悶々としていた。

くだんのイベントの中で、司会の人が

「同じ場所に2回以上行く理由はなんですか?」と聞いた。

「気に入った場所だからじゃん」と僕は思った。

登壇者の全員が「出会った人にもう一度会うために行く」と言う。

どこかに旅行に行く大きな目的が「人との出会い」である という話もあり、2度驚いた。

僕だって、旅行で知り合った人に、もう一度会いたくて会うことはあるけど、「知り合うこと」を目的に、旅行に行くことはない。出会いを期待して行くことはないのだ。

//登壇者の全員が、出会い目的ではなかったとは思うけど。


そして、気づいた。

僕にとっての旅行は、とても個人的なことで、内省的な行為なのだ。

「自分を整理する」ために行っていたのだ! 発見。


安いからって理由でゲストハウスなどに泊ることがあっても、誰かとの出会いを目的にしているわけではないから、こちらから話しかけて、旅話をすることはほとんどない。むしろ、したくない。

そもそも、出会いの場っぽい雰囲気のゲストハウスより、断然ホテルに泊まる。

ゲストハウスやホステルでも、相部屋に泊まることはまずない。

旅っぽい雰囲気のカフェや本屋さんは好きでよく行く。旅行っぽい気分で、考え事をしたいからだ。ほっとするし、ノスタルジックで好きだ。

でも誰かと話すことはあまりしない。特に日本人とは。


ようやくそんなことに気づいた。

世界一周から15年もたって、その間にも何度も旅行に行っているのに だ。

自分の旅行の様子をインスタにアップしたりするくせに

共感を求めていないと言うのは、矛盾してると、我ながら思う。


「のり貼り」っていう旅行のスクラップブックを延々と20年も作っているのは、自問自答の所作なんだと思う。誰かに見せるために作り始めたものではない。

最近は展示したりしてるので、ちょっと見られることを意識している気もするけど。


僕の世界一周の動機は不純だ。

日本の社会に馴染めなさそう、うまくいかない、ちょっと変わったことをしてみたい

ようは、逃げ出しなのだ。

だから、旅によって何かが変わった なんて話は信じない。うんざりだ。

僕も確かにいっぱい変わったと思うし、世界一周に行かなかったら、こんな人生になっていないと思う。

でも、そのことを語り合ったり、いわんや、日本で地道に働いている人を小馬鹿する発言には、違和感がある。世界一周なんかそんなにすごくも偉くもないのだ。


旅行はあくまで個人趣味的なイベントだ。

逆に言えば、いかに日常、自分のココロの声を聞かずに 周囲とのバランスを取って暮らしているか ということだろう。

自分がしたいことより、一番具合がいいことを選んでいる人生。

そういうのがたまにしんどくなるから、「旅」っていう個人的な行いをしているんだと思う。