佐伯祐三 展

ずいぶん前から案内が出てて、楽しみにしてた 佐伯祐三展に来た。

まだ会期が始まったばかりの平日なのに、結構な人の入り。ぼくは全く前知識ナシで来たが、けっこう濃密な鑑賞体験だった。


佐伯祐三は、東京美術学校を卒業した後、1924年にパリに留学した。新婚の奥さんと子供も一緒に連れて行く。実家がお寺ってこともあって、結構裕福だったんだろうなー。このときは神戸港から船で行ったそうです。

パリについてしばらく、あるとき、画家ブラマンクに絵を見せたところ、「このアカデミックめ!」と否定されて大ショック!

その後全く違う画風になっていく。独自の表現を目指し、速筆のマチエールの画風を見つけていく。 この自画像も、ブラマンクに否定されてすぐの作品。他の自画像と全然違う。


怒られた画家ブラマンクを訪ねた街が、ゴッホが最後に住んでた家や墓がある場所で、怒られたあと、なんとその街に泊まって、翌日ゴッホの絵みたり墓参りしたそうです。奥さんと子連れで。

絵を否定された後のゴッホ見学って、どんな心持ちだったんだろう。当時20代。

ゴッホの絵で有名なあの教会↓を、佐伯も描いてます。↑ あ、この絵は展示には無いです。



画題や画風は、主におおきく三段階に変化するかんじがした。そのようすが今回の展示ではよくわかる。

1回目のパリから帰国した1926年、再度パリに行くまでの1年は新宿の下落合に住み、制作をつづける。国内での評価も上げ、個展も行い絵も売れた。

パリで発明した独自のタッチで日本を東京を描き続ける。


1927年にまたパリに行く。こんどはシベリア鉄道。

パリについたあと、猛烈に描き始める。

この頃の絵は、もう景色というよりも、ただただ画面だ。精神的な印象派、というか、見た対象を触媒にして画面を描いているように感じる。

セザンヌやゴッホの影響も、なるほどわかるが、色の暗さ、黒の多さが、なんとも独特の内省的な印象の絵に見せている。

上のシリーズは、郊外に滞在し、町の教会を、めちゃくちゃたくさん描いたシリーズ。

凄い集中力と、勢い・思い込みで描かれた作品は、素晴らしい「描き止めどき」で、これ以上ない画面構成になっている。スケッチのようなクロッキーのようなタブローが心を捕まえる。



パリに戻った3月、小雨の中で絵を描いてた佐伯は、風邪をこじらせる。結局、結核にかかってしまう。

罹患した後も、死ぬまでの時間を惜しむように描き続ける。おそろしい量のキャンバス。

上の作品がほぼ遺作。扉を描いている。


3月に結核を発症し、6月に自殺未遂、そして8月に病院で死んだ。しかもその数日後、6歳の娘も結核で亡くなり、妻は2人の遺骨を抱えて日本に帰ったそうだ。

独自の画風の作品は、ほとんどが1924年から1928年までにが描かれており、風のように去ってしまった画家だ。


佐伯の人生の展開を聞くと、なんとも言えない気分になる。

しかし、絵からのチカラはすごい。ぐわっと掴まれる。知らない間に三時間経っていた。