あたらしいものを作る

私はバカなのか。無知すぎるのではないか? そんなことをここ数週間考えていたのでまとめようと思う。

自分の個展が終わった。今回の展示はとても得るものが多かった。

端的にまとめると「自分の表現がアートなのか、そうでないのか ということにかかわらず、新しい自分の表現を模索していこう」と思ったということだ。


新しい表現と言うのは何なのか。全く新しい表現を、自分の中からぱっと生み出せるほど私は天才ではない。

もし天才ならば、今までにやっていただろう。溢れ出るような思いや、描きたいものが特にあったわけでもない。ましてや、人に頼まれたことを作るデザインと言う仕事を30年近くやってきたのだから、作る動機は自分のがわに無かった。

私は単純に絵を描きたいと思って描き始めた。表現したい確固たる思いがあったわけではない。

私の好きなものを描き始めた。それは旅の記憶であり旅先の風景や食べものであり、そしてその場の居心地の良さや、気持ちの良さだった。

あるいは少し感傷的なことやロマンティックなことみたいな、日々に少し彩りを与えるような気持ちの動きを描きたいと思った。

それはいろいろな人に受け入れてもらえたと思う。


展示が終わってから3週間の間に見た、マティスの展示と尾形乾山の展示が印象に残っている。

マティス展は、清々しいほどに「見て良かった」と思わせられる内容だった。マティスは苦労の上に最終的なアウトプットを生み出したと思うが、作品から感じる印象はすこぶる気持ちの良いものだった。苦悩とか悩みとか苛立ちとか、そういう負の感覚をほとんど感じない作品だ。

エゴン・シーレを見て不快になる人はいると思うがマティスを見て不快になる人はそんなにいないと思う。一般的に言って。



尾形乾山は過去にとらわれずいろいろなことを試した人だ。

まず絵を描くことから始めたのであろう。その先に陶器に絵を描き、最後には陶芸と絵を組み合わせて、絵画であり彫刻でありデザインであり工芸であるような作品を作った。

世界のことをほとんど知る術がなく、日本の歴史やアートしか知らなかった彼にとって、いや、国内の作品さえ今ほどに知ることができなかった時代なので、ほとんどオリジナルで、独創性を働かせて作り出していった結果だと思う。圧倒的でユニークだと思うし美しい。


話はまた変わるが、ずっと旅していた櫻井が帰国した。彼は1年前に無期限で行き先や予定もあまり決めずに世界に旅立った。旅の話を聞くと、一つの場所や国にで長い時間を過ごし、人との出会いや話すことと、自分で考えるような事をたくさんしたように感じた。今はそこからアウトプットするための時間を取りたいと語っていた。


単純に比較する事はできないが、20年前の私たちの世界一周は、あらかじめある程度の行き先予定やスケジュールに基づいた旅だったので、必然的にひと所にいる期間は長くても3週間程度であった。毎日が移動と滞在の連続で、住むと言う感じではなかったが、それでも各地の文化を感じ取ることができた。サマリー的だったけど濃い体験ではあったと思う。

桜井の場合は、ひと所に長いこと滞在することによって、その場所や国のさまざまを感じながら、人と話し、自分の中で咀嚼する時間が多かったのではないかと思う。だから、彼が今後生み出すものごとに興味がある。


さて、「あたらしいものを作る」という話に戻るが、人は自分で作るものは、自分の経験や体験以上のものは出来ないと思っている。それを打ち破るには、体験の数をさらに増やすか、体験を咀嚼し考えることを増やすか のどちらかだと思っている。

あらゆる体験は、時間もかかるしいろいろ網羅するような元気もなさそうだ。やはり「考える」しかないのだろう。

そこで冒頭の「私はバカなのか。無知すぎるのではないか?」に至る。考えるほどに堂々巡りになり、知らないことが多いことに気づくのだ。

しょうがない。深く諦めて考え方を変えよう。


では、どうやって自分の中に無いものを見つけ、新しいものを作っていくか?

その答えは、偶然か、システマティックなことでしか成しえないのかな?と言う気がしてきた。

今までに、興味がなかったことや、全く無関係な内容を、表現と考えの中に取り込んでいく行為を意図的にすること。システム的に。そうすることで、次の新しい展開が見えるのかもしれない。

雑にまとめると「チャレンジする」ことだ。やったことがないことに。さらに言うと、自身が価値や意味を感じないことをするのが大切なのかもしれない。

なぜなら私はずっと「デザイン」という仕事をしてきたから、必然的に誰かの期待に応えるための癖がついているのだと思うからだ。期待に応えない、意味のないことをする。ますます「バカ」みたいな話だ。


絵の描き始めは、好きなことを組み合わせてものを作ったが、今度は興味のないことや少し嫌なことも組み込むのが良いのかもしれない。いや、嫌な事はやはり嫌なので、興味や関心がないことを加味するくらいから始めるのが良いのかもしれない。


誰も見たことがなくて、自分も見たことがなくて、かつ自分が納得できるもの を作る と言うのは、唐突には難しい気がする。

しかしそういうものに近づいていきたいなと言う気持ちになった。


こんなことを書くと、さらに「私はバカなのか。無知すぎるのではないか?」と感じる。