「秋の舞姫」と森鴎外記念館
谷口ジローの「秋の舞姫」と言う作品を読んだ。そうしたら千駄木にある森鴎外記念館に行きたくなって行ってきた。
今回は、森鴎外という人の人生をコンパクトに把握できる展示と、書簡等の展示がとても興味深く、読んでいた漫画の内容と少しシンクロして面白かった。とくに有識者の鴎外に関して語る映像がおもしろかった。
森鴎外記念館は、もともとの森鴎外の邸宅の跡地にある。当時からあったイチョウの木や鴎外が家族と腰かけた大きな石が、ほぼ同じ位置にそのまま残っていて、喫茶室の大きな窓から見えるようになっている。
高台にあるこの邸宅からは品川沖が見えたそうだ。今は東京スカイツリーがビルの合間に見える位置になっている。
その後、この記念館の近所にある絵のギャラリーに行った。記念館に展示の案内DMが置いてあったので興味がわいたので。展示はギャラリーチョイスの数名の作家の展示だった。目に止まった作品があって、ポートフォーリオを見ていたら、作家の若い女性が話しかけてくれて、作品について述べたり聞いたり、過去の西洋絵画や作家についていろいろ話した。絵に対して考えていることは理解できる事象で、かといって古臭いとは思わなかった。現代ならではの表現になっていく可能性も感じた。
いろいろ話しながら、絵を見ながら、鴎外の時代の洋画家の事などを考えていた。
「明治時代は近代日本の青春だ」と言う風があるが、まさにそんな感じだったんだろうな。西洋に追いつけ追い越せを模索しながらも、江戸時代からの常識が依然とあり、鴎外の「舞姫」の中で描かれているような「家」というものと「個人」というものの間で苦悩葛藤する人々の有り様は、なんとも青春と言うにふさわしいではないか。
「家」という社会概念に引きずられつつも「個人」というアイデンティティーや、自我を表明することに目覚めながら、その中でどのように日本の近代化を進めるか。翻って、どのような表現をするか、そんな当時のアートの前進について思いを馳せた。
現在は、あらゆるものが簡単に情報として手に入る。「舞姫」が読みたければネットで無料で青空文庫で読めたりする。過去の著名なミュージシャンのビデオもYouTubeにたくさんあるし、古今東西の絵画も検索すればすぐに画像が出てくる。
はじめの一歩、とっかかりは昔よりもはるかに簡単になった。知ることの可能性は無限だし、過去からの再発見も多いだろう。しかしだからといって我々の世代の表現が急に進歩進捗するわけでもない。作り手の、新しい物の見方やまなざし・考察が必要だと思う。
考察の深さや消化度合いは、入手できる情報量に追いつかない。意図的に立ち止まって考えるようにしないと、入ってくることがらやイメージの波に溺れてしまう。気が付かない。行く川の流れは絶えずして、また膨大で洪水のようでもある。同時に新しい常識やコンセプトも膨大で速い。
今、作り手である僕たちは、どのような表現をするべきなのか、どのような問題提起をするべきなのか、何を考えることが、今の「するべきこと」なのか? みたいなことを考えた1日だった。
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