カルティエと日本 「結 MUSUBI」展

表慶館の展示だからタダで入れると思ってトーハク来たら、ちゃんとした企画展示だった。1500円かあー。でも常設展の入場料も1000円だからまぁいいかと思い入った。しかし、いつからトーハク入場料は1000円になったんだろう。


さて、展示。

表慶館の建物の重厚さと、エントランスのインスターレーションは、とても美しく、さすがカルティエ!と感じ入った。

展示を見進めていくと、カルティエのアクセサリーや工芸品と、建物そのものやインテリアとのハーモニーが良いなぁなどと思っていた。

しかし、だんだん日本人作家とのコラボレーションみたいなやつの紹介が増えると、その作品と、建物や工芸品の重厚さとの差に だんだんゲンナリしていった。

しばらく見進めると、建物や工芸品までB級なものに見えてきて、全部がものまねとか偽物みたいなふうに感じるようになる。あぁ、カルティエに日本が重なると、そういうものになるのかも、などと根拠レスに妙に納得する。

展示を進めていくにつれて、日本の軽薄さというか、西洋に対する憧れ真似みたいなイメージがどんどん増してきて、なんだかカルティエ自体が軽薄ゴージャスに思えてきた。


ふと周りの観客を見ると、全身ブランドだったりするのに全然エレガントじゃなくて、この展示と観客含めた全体がインスタレーション? さらにエレガントじゃないなぁなんて思えてきた。

市民革命で出来た今のフランスと、明治維新と戦後でガラガラ変わり続ける日本 なんか似てるなぁ。

前時代の否定、オーソリティへの憧れ、自分都合解釈、そこはかとない軽薄さ。まさに「日本とカルティエ」という感じもした。


ちょうど展示の最後に参加アーティストのインタビュービデオが流れていて、等身大のモニターに映る村上隆のコメント、彼の言う「スーパーフラット」というコンセプトが、この展示そのもの。「日本とカルティエ」というテーマにもシンクロしてると思ったのでした。

それぞれのアーティストが作ったものや 考えた事には、すごい強さがあるのに、まとまるとなぜか軽薄に感じるアイロニー。

情報やイメージやコンセプトが多すぎて、目の前にある作品を感じる気持ちを狂わせていく。


見てよかったと思うけど、偏屈で皮肉な感想となってしまった。


カルティエと日本 半世紀のあゆみ

「結 MUSUBI」展

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