じゅんくん

ペルージャでいっしょにサッカーを見た、じゅんくんがうちに来た。彼は今、日本を自転車で縦断中。尼崎の実家から、石川へ行き、そこからフェリーで苫小牧へ。苫小牧から左回りで稚内まで行き、札幌経由で苫小牧と、北海道を半周。さらに東北を南下し関東地方にやってきたのだ。この間3300キロ。彼は、今年大学を卒業し、来年から岡山のテレビ局に就職する。そのまえの日本りょこうなのだ。しかもチャリで。全部自分の足で一周するのだから、僕らの飛び石世界一周より、本物度の高い一周旅だ。彼は、ぼくらとペルージャで出会った後、僕らのホームページを見てくれて、ちょくちょくメールをくれていた。僕らが日本に帰国した春のある日、メールが来た。就職で悩んでいると書いてあった。「相談の電話してもいいか」と書いてあったので、「いいよ」と返事を返すと、すぐに電話がかかって来た。彼にしてみれば、ぼくは、社会人経験のある、知り合いの一人だったからだと思う。「某会社に内定が出たものの、自分はどうしてもテレビ局に行きたいのだ」と言う。そのとき僕が、何をいったのか、はっきりは覚えていない。たしか 「本当にやる」 ということは、すごく価値のあることで、でもムヅカしいことだ。 「やろうと思った」と「やった」では全然価値が違うみたいなことを言った気がする。ぼくは「本当にやった」ことが少ない人ほど、よく後悔し、物事を正当化するっておもってる。世界一周からかえって来たばかりの僕は、少し浮世離れしていて、自分が社会とベタに接触しない無職の不安定な生活に、ちょっと焦っていたと思うし、自分がやった世界一周という行為に対して自負があったから、そんなことを話したのだと思う。彼はその後、内定を蹴り、一年留年してもう一度就職活動して、惨敗続きの中、念願のテレビ局の内定をゲットした。ぼくは純粋に「すごいなあ」とおもった。彼は、ガッツと人当たりと前向きな性格でテレビ局内定をゲットしたのだと思う。「本当にやった」のだ。時がたって会ったじゅんくんは、ペルージャのときよりも、そわそわしなくなっていた。自分に自信が出来たのだと思う。僕は彼と出会ったのがイタリアだったので、鎌倉のイタリアンレストランにいっしょにいった。行く途中、七里ケ浜から江ノ島のむこうに富士山がみえた。絶景だった。本場のイタリア料理の味がする、ロンディーノは、ぼくの好きなレストランで、友達とよく行くんだけど、かれは、そこで「ほんとにうまい うまい」といって感動していた。そのあと、駅でよっぱらって誰かに電話していた彼は、「今日なあ、サザンの歌みたいな光景見ながらなあ、イタリアンレストランでめっちゃうまい飯食ったぞ。まじで最高幸せや。」と、でかい声で話していた。ぼくはそのとき、「ぼくはこんなふうにいえるかなあ」と思った。歳を重ねて、いろんなことを知って、いろんな経験をして、体感して、失敗をして、うまく行く方法やパターンを知っていく。だんだん失敗しなくなる。恥ずかしいと思うことが増え、無難にこなして、本気でやることが減っていく。なんかそんな人生で、ほんとにいいのかなあと思った。かれは「前向き」に進んで行く。ぼくは「うまく」進んで行く。ぼくは「サザンの歌みたいな景色」とは、もう言わないだろう。世界一周を「ほんとにやってしまった」今、さらに何を「ほんとにやる」といいのかと考えた。自分が感動するぐらいのこと、たのしいことってなんだろう? 

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