会社勤めをやめて1年経ちました。
今日で3月が終わります。
ということは、会社を辞めてから、会社員をやめてから1年が経ちます。
その後、世界一周旅行に行き9月に戻ってきて半年が経ちました。
そんな中で、「働く」ことや、今後人生をどう過ごすかということに関して 色々と考えたこと発見したことがあったので、書いておこうと思います。
↑ リスボンに18年ぶりに行った。めっちゃきれいになってた。
●毎日「通わない生活」になって、気がついたこと
会社員生活をしなくなって、いや、どこかに毎日通う生活をしなくなって、1年が経ちます。今はフリーランスでいろいろな仕事をしています。
考えてみれば、毎日どこかに通わない生活をする というのは前の世界一周以来18年ぶりのことでした。
いつかアーリーリタイヤをして気楽に過ごしたいなと思っていましたが、今まさにそういうようなことをしているのかもしれません。
●これが「定年」というものなのか?
ある時、ふと考えました。
定年後と言うのは 今の僕と同じような状況のことで、たくさんの人が、そのうちなるのだなと。
という事は、今ぼくは50手前にして定年のような状態になっているということです。
なるほど思いあたるのは、病気や体のこと健康のことなど、きっと定年後に考えるようなことを、よく考えるようになりました。
と同時に、長く働いていけるような形式(会社を作るのか?とか)、ずっと仕事するためには、どうすればいいか?などを、なんとなく毎日考えるようになりました。
40代の今考える将来と、60になってから考える将来の事では、意味が変わってくるのかもしれません。ぼくは干支一周分先に、そういう体験をしているのかもしれません。
↑ 毎日のようにメシを作る。3食。たのしい!
●仕事と生活が細切れに重なる生活
毎日会社に通わなくなって、でも、今も働いているわけですが、このことは、非常に身体にとっては良いことな気がします。精神衛生上も気持ちが楽ですね。 実際、持病の心房細動もほとんど出なくなり、血液検査の数値も軒並み改善傾向です。やせないけど。
ずっと家にいるので、家の掃除をしたり、居心地が良いようにしたり、洗濯をしたり なんていうことも以前よりたくさんするようになりました。
今までは、年末にまとめて大掃除をしていましたが、今はちょびちょびと掃除し、部屋を模様替えしたり、改造したりするような時間が取りやすい。
今は、いつでも思い立ったら、その日にどこにでも行くことができます。お金のことさえ気にしなければ。平日だろうと、その気になれば外国にふらっと旅行に行くこともできるでしょう。まだやっていませんが。
最近楽しいと思うのは、観光のような気分で東京を歩くことです。冬なので少し寒いですが、どこの美術館でもどこの商業施設でも平日はだいたい空いています。
最近は日曜日に仕事をして、月曜日火曜日にどこかに行く、なんてことも増えました。
つまり1日が仕事が中心なのではなくて、生活が中心になっていると感じます。
1時間仕事して、1時間そうじに、なんていうふうに、仕事と生活の時間の切り替えが、自由に細かく出来るということは、とても有意義です。
↑ 平日、思い立って稲村ヶ崎にイタリアンを食いに行くこともできる。
ぼくは、勉強したり本を読んだりという、いわゆる学び直しということができていません。
それよりも自分で考えたり、どこかに行ってみたり、何かを作ったり、というような行動することに魅力を感じてしまいます。だいぶ日曜大工で家具作ったりプチリフォームしたりしましたね。
あと、見直したいのは、朝遅い後ろ倒しのタイムテーブル。 毎日決まった行き先スケジュールがないので、朝起きるのはいつも遅く、だいたい昼ぐらいから6時間ぐらい仕事をしたり活動したりして、夜も早くご飯を食べ、そのあとダラダラとプライムビデオやインターネットを見てしまいます。まるで学生のような生活です。
そして深夜2時位まで画面見て、ようやく寝ます。なので次の日も朝がのろのろしてしまうわけです。 このような生活習慣は改めないといけないなと思います。
おそらく子供がいたりするともう少し規則正しい生活になるのだと思いますが…。
↑ ラグビーワールドカップ も満喫できた。めっちゃ楽しかった。
●会社と社会が変化している
会社の中で暮らしていくために、いかに無駄な時間をたくさん使っていたのか とあらためて思います。 これは組織が複雑になっていけば仕方のないことなのかもしれませんが、あまりにも非合理的なto doが多かったような気がします。
でも実は、僕は、無駄な仕事や、無駄な時間を使うこと、会社の中でのおしゃべりコミュニケーションなどは、割と好きな方でした。
仕事上のいろいろな関わりがきっかけで、いろいろな考えの人と話すことが楽しかったからです。それは今も変わりません。
毎日決まった通う先がないと、当然ですが、会う人の量が圧倒的に減ります。なのでそういう無駄なおしゃべりをすることが減るので、必然的に無駄な時間が減り、もしかしたら楽しい時間が減っています。
あと、月並みですが、会社員の頃はさまざまな局面で色々と守られていたんだな、と感じます。 例えば保険、例えば年金、そういうもののほとんどが、会社が、いくばくか補助をしてくれていたんだな、と気がつきます。
これから、ますます会社という仕組み自体が変化していき「どこかに雇われる」という人が少なくなってしまうかもしれません。
企業が個人を終身雇用できなくなるけど、個人が副業を持ったり、さまざまなお金の稼ぎ方をしていくようになる。個人に仕事を発注することの敷居もどんどん下がっている。勤めない稼ぎ方もいろいろ出来てきている。
「会社」とか「働く」とか「勤める」という意味が、今まさに変化していると実感します。
小さくても自分のビジネスを持つことは、サラリーマンでもそうでなくても大切だと実感しました。
●2回目の世界一周で感じたこと
ひさびさに長い期間 海外を旅行して、日本が安い国になっていると感じました。物価が上がらず結果的に安い。税金は上がっているけど、平均年収は上がっていない。
しかしぼくは、これは事実ではあるけど、悲観的になったり、必ず成長させるべきとは、あまり思いませんでした。
いろんな国があってよくて、この状態をポジティブに受け止めて、いい風に差別化していく主体性こそが重要だと思います。
↑イタリアのランペドゥーサ島。水がきれいでメシがうまい。
↑サンフランシスコの橋挟んで反対側。昼間だけちょこっと開く灯台に。
↑ ポルトの夕暮れ。幸せな雰囲気。
世界の国々は、移民が増えたり、中心世代が変わったり、テクノロジーが発展したことで、みんながいろんな生活の仕方をしていて、典型的さが減っているように感じました。
でも同時に、どんどん世界が混ざって、同じようなものがどこにでもあるようにも感じました。世界中にYouTubeがあり、SNSでムーブメントやトピックスは、あっという間に世界に広がる。
だからこそユニークネスが大切で、そこにしかないユニークなものを再発見しそれを大切にし、生かしている国や街は魅力的でした。たとえばバンコク、スリランカ、トビリシ、ポルト、ポートランドなどなど。
↑ポルトはデザインとアートがたくさん。この革屋さんのサイフは最高です!
ニューヨークのオーガニック店。高級ではなくクール!
ハワイのカイルアに泊まった。毎日こんなきれいな海がある生活っていいなあ。
さどさんとワトソンと。サンノゼのおうち。アメリカ暮らしも楽しそうだ!
↑ポートランドで浴衣着た。そのおかげでマシューと友達になった。
今後、あらためて、日本や東京の魅力やユニークを観察していきたいです。
●それでも働いて生きていく
ここ数ヶ月フリーランスしてみて、働くという事、お金を稼ぐと言う事は、いろいろなやり方があるのだなぁと気が付きました。
働くというのは一体どういうことなのでしょうか。
ライフワークとライスワークと言いますが、その意味や区分は何となくイメージできるようになりました。
ライスワークだけで生きていくと、人はとても寂しい気持ちになるのかもしれません。充実感が得られないかもしれません。
逆にライフワークだと言って快適に活動していても、お金がなければ、それはそれで寂しい気持ちになるような気もします。
要はバランスなのかと思います。
毎日通う場所がなく、毎月定収入がないというのは不安な気もしますが、実は慣れてしまえばそんなことないのかも知れませんが、ぼくはまだ慣れません。
で、年間でどのくらいお金が減るのか、ということを、ついつい試算してしまいます。
逆に考えれば、その金額×年数分 が今後必要になってくるので、それをフローで賄えるだけの仕組みをうまく作っていくことが、今後の小さな目標です。
もしたくさんお金があって、もうお金を稼ぐことが必要がないとしたら、僕は働かないでしょうか? そんなことを考えてみましたが、やっぱり何か社会に対して関わりたくなると感じています。
長く働けることを編み出して、ずっと死ぬまで社会と関わりながら生きていたいなと思います。
↑スクランブルスクエアの屋上から東京のまち。
さて、 世界一周で感じたこととに対して、いまいま自分が行なっていることのギャップが大きすぎると思ってます。
もっと、大きな尺で仕事ってものを考えてもいいのに、それができていない。なんとなく、できることをやっている。
いろんな経験やノウハウ、スキル、アイデアをもっと棚卸しして観察して、次を考えたほうがいいな、なんて、書いていて思いました。
一年は長かったけど、あっという間だったなあ。
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